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こんばんは、ふくろうです。今日は『薔薇のために6』、「第42話 日向の作文」でございます。

 

芙蓉さんの子供時代が語られます。

想像はできましたが、思った通りでしたね。





 

今の芙蓉さんがどうやって出来上がったのかがわかります。

婆やさんが芙蓉さんにとって、どれほど大事な存在かが理解できます。

 

女優のお母さんには期待できないとはわかっていても幼い芙蓉さんは

期待したはずです。

 

普通の子供なら当たり前のことですね。

芙蓉さんは何も悪くないですね。

 

お母さんは名前だけのお母さんでしたが、この家にはこういうお母さんに意見をする人が誰もいませんからね。

 

お母さんは怖いものなしで行動します。

押えがいないということはある意味不幸です。

 

しかし、芙蓉さんはなんて賢い子でしょう。

お母さんに怒りは持っていますが、ちゃんと育っています。

 

この家では子供のほうがちゃんとしています。

 

百合の言葉を借りれば、お母さんは嫌われている。

確かに、しょっちゅう大声でやりあっているわけではないですけど、

批判も何も、子供たちはみんな、どこかであきらめています。

 

子どもに美しいものを見せるならともかく、

このお母さんは自分が子供のまんまで生きています。行動様式がずっと子供の時から

変わらないなら、年を取ってる分、見るほうからすれば不快感は増していってます。

 

実際、子供が子供の面倒を見るのは無理です。

となるとこの家でたった一人の大人は婆やさんですね。

大人でモデルになる人がいれば、子供は何とか育つのではないでしょうか。





 

父親の力も母親の力も働いていない家で、きっと婆やさんが陰になり日向になり、

子供たちのために働いてこられたんですね。

 

子供のいない婆やさんの宝物を百合は見つけます。

婆やさんの気持ちは親も同然ですね。

 

ふくろうも、子ふくろうたちがくれた手紙とかを大事にしています。

宝ものです。

かけがえのないもの、世界に一つだけのものです。

 

幼い芙蓉さんが社会の目を気にしながら、子供なりに気を使って

心を捻じ曲げたりして、どうにかこうにか生きてきた姿が愛おしいです。

 

この家のお母さんが幸せだったのかどうか、よくわかりませんが

子供たちはどうだったのか、そのことをお母さんが考えたのかもわかりません。

 

ただお母さんに誰かを大事にすることが身についていたなら、もう少し人生の展開が違ったものになっていたでしょう。

 

大悪人ではないのに、外から見たら、身勝手な自分大好き人間に思われるかもしれませんね。どんな人にもそれなりの理由はあると思います。

 

それでも子供がいれば、何か一つくらいは自分を抑えて子供のためにすることがあってもいいですね。

 

変わるきっかけは人生で必ず与えられると思います。

 

ではまた。





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