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モーニング!ふくろうです。
今日は『TAJOMARU』を見ました。
タイトルをアルファベットにしたのは、目を引きますね。
音では同じでも。漢字とかでないのは、
読み飛ばさずに立ち止まってしまいます。
藪の中を原作とした、羅生門は見たことがあります。
いわゆる黒澤映画の名作ですね。
今回のTAJOMARUはアニメを実写にしたのでしょうね。
面白いエンタ―テインメントでした。
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まず、最初のところの美しい風景が、昔話の中の都にふくろうを入り込ませてくれました。
管領の一族が出てまいりますね。
畠山の次男で、小栗旬さん演じる直光の人生が見えてきます。
全くこのストーリーも、ふくろうは初めてなので、
この昔話はいったいどんな話だろうと、ワクワクしながら見ておりました。
平安時代のあたりを舞台にした物語は断然好みです。
昔話の一寸法師に出てくる、都のイメージは平安時代に特化してふくろうはいつも読んでいました。
他の時代はあり得ないと。
この映画も、都の魔物が後ろで糸を引いていたのではと、
思ったのですが、陰陽師のようなファンタジーではなかったです。
足利将軍の思いのままに、家臣や家来は使われていますね。
桜丸も、直光に拾われて、忠臣になるかといえば
そうでもなく、自分の欲望に忠実に生きています。
ノリがアニメのリズムだと思ってみていました。
山賊たちのキャラも、ロックな生き方も、楽しかったです。
俳優さんたちの演技力は高いですね。
アクションシーンは迫力がありました。特にラストの桜丸と、直光の戦いのシーンで、TAJOMARUの剣は、桜丸の刀を折る力はあったのでしょうけど、
折れることはなかった。
これは桜丸の刀が、そこらへんにある安物ではないということか。
しかし、直光が初めて先代のTAJOMARUに出会ったとき、身分ある直光の持ち物である
刀が折れました。
だからふくろうは桜丸の刀が折れるのを非常に期待したのです。
使った刀は手入れをするのがふつうでしょう。
斬れないのは手入れがされないことを意味するのではと思います。
さらに、そのすごい剣を素手で受けているTAJOMARU、
手がきれなかったのでしょうか。
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この映画では風景や衣装が素敵でした。
そして、正義とは将軍にとっての正義なのか。
管領の仕事より阿古姫との人生を選ぶ直光は、都の警備には責任をもたない。
そこを将軍が言ってましたね。
誰でもよいから警備をする役目の物が必要なのです。
管領の家に何が起ころうと、お構いなしです。
駆け落ちした直光には発言権はないのでしょう。
直光が帰って来なければ、後継者がいないので、桜丸がその代わりを将軍から許されていました。
法律も、正義も、為政者、権力者の都合によって変わるのですね。
では、TAJOMARUの直光は、なぜ桜丸と果し合いをするのか。
それはまあ、恨み重なる、畠山の兄や重鎮などを殺した罪がこのままでは罰せられない
からでしょうね。
桜丸による畠山家乗っ取りの事実、これが直光には許せないはずです。
兄上が継ぐならまだしも、ですかね。
阿古姫を巡る争いは、実は姫の父親の大納言が残したとされる金が原因です。
これを狙うものが争いを起こしたのです。
将軍もそれを欲しがったんでしょう。
さらに盗賊たちのなかにも、この金を狙っていたものがいます。
金や権力を離れて、ラストでTAJOMARU は自由を手にします。
この後阿古姫と二人で自由に生きたということか。
全体的にきれいな映画でした。
俳優さんたちの表情もいい。
そういう意味で面白いなとふくろうは見ておりました。
その役を表現する人たちの面白さ、それを見るのは楽しいです。
ただ、時代劇で「愛しています」という日本語を聞くのは
ふくろうには違和感みたいなものがあります。
他にちょうどいい言葉が見当たりませんから、今どきは使っても普通かもしれませんけどね。
最初の美しい紅葉のシーンに感動し、
見始めましたが、
展開が面白かったです。
あの後都はどうなったかな、家臣が忠実そうだったから、
家の名前は受け継がれたかもしれませんね。
主人公の直光はTAJOMARUとして生きた。山賊を続けたかどうかはわかりません。
代々受け継がれるTAJOMARUの生き方は自由に、でしたから。
思う存分、笑いながら生きられたことを祈りたいです。
では。
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