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こんばんは、ふくろうです。
今日は『禅 ZEN』でございます。
何故座るのか。ですね。
実際に禅を行うとはどういうことなのか。
わからないことは多いのですが、この映画は退屈せずに見ました。
道元禅師のたたずまいが素晴らしいです。
人生に経験する様々な困難を人はどう乗り越えるのか、を思いながら、
道元禅師がどう答えるのだろうと、興味をもって見ておりました。
この映画の中に登場する人物たちの人生に自分をかさねてみました。
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道元禅師が生きておられた時代の人々の不安は、今とは違いますね。
社会情勢も不安だらけです。
平定するためとはいえ多くの血が流されますね。
浜辺のシーンが壮絶でよく物語っていると思われました。
死んでいった人びとの怨念に脅かされる支配者に道元は命がけの言葉を話します。
大義名分は何にせよ、多くの血を流したことは背負うものも大きいのですね。
当然と言えば当然です。
命を奪う行為は許されることではありませんね。
戦に勝ったものが、すんなり幸せになれるとはふくろうも思えないのです。
戦でなくとも、縁者に亡くなったものがいない人間などどこにもいません。
病や死におびえ、生活苦におびえる人々に道元禅師は寄り添われたのかなと思いました。
共に涙を流す方だったのでしょう。
人格が高潔な方ですね。
権力者におもねることなく、弱者を忘れず、日々自分を磨くことに精を出す生活がすごいです。
食べるものも満足には与えられません。
しかし、重湯をすすっても頑張るんですね。
道元を慕って集まってくる僧侶たちは、厳しい修行に明け暮れます。
道元禅師が留学して戻ってこられて、日本で活動を開始するわけですが、
留学から戻ってこられたことも、運がございますよね。
徳の高い方は、ご加護があると思いました。
最初のシーン何かを求めて進む人の姿が妙にふくろうの心に残りました。
たぶん、ふくろう自身が道を求めているからだとおもいます。
職業は違っても、道元禅師には非常に共感できると感じました。
子どもの頃母親に、道元禅師が言った言葉が心に残ります。
この世がお浄土でなければ意味がない。
その通りだとふくろうも思いました。
当時の人々の人生も厳しいものだったのでしょう。
公暁のエピソードも興味深いです。
実朝暗殺に関わって結局打ち取られてしまいます。
簡単に人間が死んでいきますね。
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ここに登場する、寂円という宋の国から道元禅師を慕って日本にやってこられる方がいますね。
道元も留学していましたから、中国語に堪能ですね。
求めて外国に行き、道を究めようとする人には出会いがあり、また友情も国境を越えて育んでいます。
徳の高い方だと思いました。
静かに進む物語を、ふくろうも静かに見ました。
鎌倉時代の日本に想いを馳せながら、こういう風な人生を歩まれた方がいたのだと思えば、
ふくろうも元気が出ます。
身体を使って何かをすること。
例えば禅を行うと、僧侶たちは何がどう変わっていくのか、詳しくは知りませんが、
悟るとはどういうことなのか、知りたくなりました。
品格を感じる道元禅師を演じた、中村勘太郎さんがとてもよかったと思います。
声が心に入ってきました。また存在感が素敵です。
きっぱりとして、命を懸けて道を求めておられるのがよく伝わってきます。
時代物の映画を見るときは、服装も、家屋も、しっかり見てしまいますね。
流石にお寺の建物はすっきりしていて落ち着きます。
その中で道元禅師の澄んでいる感じがいいなと思いました。
美しいと思いました。
叡山の僧兵がやってきたときも、凛として対応しています。
目に見えるもの、見えないもの、大事なものはたくさんあるのですね。
では。
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